太平洋戦争勃発
昭和十六年十二月八日
日本軍マライ半島上陸、真珠湾空襲
日本は中国、アメリカ、イギリス、オランダを相手にして開戦
戦火は中国大陸、東南アジア太平洋地域一帯、
インドなど広範な地域に及びました。

戦争の気運が高まり、「リプトン」という屋号も
『敵国語であるから変更せよ』と行政筋より強要されまして
仕方なく「大東亜」という店名に変えることになりました。
申すまでもなく大戦中のリプトン紅茶はイギリスの製品
つまり敵国の製品であるため輸入ができなくなりました。
日本の統治下にあった台湾製のものを扱うことになりました。
リプトン紅茶に比べて色も香りも良いとはいえませんでしたが
肝心のリプトン紅茶が無いのですから仕方なかったのです。

わずかですが食料品の割りあてを受けました。
それを市民の皆様に配給形式で売るのです。
毎日、長い行列ができました。
しかもわずか三時間ほどで全部売りきれるのです。

食料品の割り当てが少ないので、
「これではとても商売にならない」と考え
ヤミ屋から砂糖を買ったのですが、
それがバレてしまい警察からつよいお叱りを受けました。

当時の甘いものといえば合成甘味料のサッカリンか
ズルチンだけだったので砂糖が一番喜ばれたのです。

終戦はむかえたものの生活物資は不足し
さまざまな混乱の世がつづきました。
紅茶どころではありません。

昭和二十四年民間貿易も再開されましたが
「リプトン紅茶」は楽には手に入りませんでした。
「リプトン紅茶」は進駐軍の家族や日本在住の
外国人のためだけに許されていたのです。

時代もおちつき喫茶店の経営も
ようやく軌道にのりだしたました。

昭和二十六年の十一月には
第2号店「四条店」を開店できました。

この時ほど嬉しさと感激を
おぼえたことはほかに少ないと思います。

「おいしい紅茶のだし方」について
たびたびお話をさせていただくようになりました。
大阪や神戸、名古屋の喫茶組合の方々が大勢
「リプトンティーショップ」へ見学にこられました。
京都のリプトンが喫茶業界のリーダーとして
脚光をあびるようになったのです。